外国人の友達が、
むかしお揃いで買ったノートを
FACEBOOKにアップしてて、
まだ持ってるの?!って送ったら、
「Sentimental value」
と一言きて、
そんな表現があるのか、と知って以来
頭の片隅に置いている言葉。
“センチメンタル・バリュー”
今年は結構出番が多くて、
ずっと買い替えようか迷ってた
姉から譲り受けた包丁を、
いや、これはこれでいいや。
まだ使おう、と決めたり、
旦那が一人暮らし時代から使ってた
ヘンな1人掛けのレザーチェアも、
まぁいいかと思えたり。
海外で、ちょっと思い切った買い物に迷った時、
これはセンチメンタルバリューだから、
と新しい言い訳に使ったり。
そうやって過ごしてると、
身に付けるもの、家にあるものに納得できてきて、
精神的にうまくいってる気がしています。
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毎日、せわしなく、
目から耳から情報を浴びてると、
服も、家具も、日用品も、
【良い】っていう定義を、
どんどん人に決めらてる感じがして、
(見なきゃいいんですけど)
評価とか、口コミとか、
キュレーターが誰だとか、
グッドなんとか賞をとってるとか、
ちょっとでもボーっとしてると、
必要のないものまで欲しくなって、
自分で自分に振り回されたり。
「センチメンタルバリュー」
他人には価値の無いものでも、自分にとっては特別な思いのあるもの。感情価値。
今年出会ったこの言葉は、
そんな呪縛を解放してくれた気がしています。
そういえば、
ロンドンで一番長く住んだこの家。
モノが溢れてて、ボロボロだったけど、
最高に居心地がよかった。
帰国したら、インテリア業界に転職しようと思わせてくれたのもこの家で、
ロンドンを離れてからも、
ずっとこの家の心地良さを追い求めていたんですが、
ここ最近、ようやくその糸口が
みえてきた気がしています。
きっと、
世界中どこに住んでも、
自分の価値観で集めたモノに囲まれてると、
そこが自分の居場所になるんだと思います。
そんな事を思った年の瀬でした。
ではー
posted by A. Imoto