ずっと気になっていたこの展示会。
来年の閉館前になんとか行けてよかった。
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BORO(ボロ)がファッション的に
再評価されている動きは知っていた。
ニューヨークのヴィンテージショップでも、
高価なデニムやミリタリージャケットなどに混ざって、
日本のBOROが置いてあるほどだ。
いや、むしろ私は、日本人であるのに、
そんな側面だけをぼんやり捉えていた
だけだったなぁと反省した。
この展示を訪れたのだって、
何かインスピレーションが貰えたらいいな!
程度に思っていたのだ。
が、入ってすぐに、そんな想いは吹っ飛んだ。
来館者はわたし一人、BOROに囲まれた空間。
正直、怖かった。
これまで写真でみていたそれとは
確実に異なる一点一点の迫力。
想像をはるかに超えるズッシリとした重み。
パンフレットには都築響一氏の言葉で、
「農民が生んだテキスタイルの美学」とあったが、
わたしが圧倒されてしまったのは、
ひたすらに暗く漂う「貧しさ」だった。
それがなかなか堪える。
▲これは、当時実際に使われていた肌着(ふんどし)。
そもそも、ボロとは、
寒さ厳しい東北地方で、農民たちが身を包むものとして
何枚もツギハギを重ねて代々受け継いできたものだ。
そして、ボロという語源の通り、
東北の貧しさを象徴するものでもあったそうだ。
▲夜寝るときに、包まるようにして使ったトンジャ。何世代にもわたって現存するもの。すべての展示品は触ってOK
寒さを凌ぎたい、
という切実な欲求のみから生まれたその純度。
それが見るほどに苦しくなってくるのだ。
消費とは真逆の時代。
軽い気持ちで来たことを若干後悔しながらも、
なんだか目を背けられなくて、
見終わる頃にはボロもたれしてしまった。
もっと、明るいテンションでおすすめしたかったですが、
思い出しながら書いてても暗くなってしまうという(笑)
故に、ぜひ!!とも勧めにくいが、
頬をパーーーンと打たれたようなショックは
少なからずある展示です。
結局、こういう非日常的な感情こそ、
美術館や博物館に足を運ぶ理由なのではないかと。
誰ともお誘い合わせず、
一人で行くことをおすすめします(笑)
posted by A. Imoto